医療法人 庸愛会の歩み

1952年 富田町診療所設立(はじめ無床、のち有床15床)
当時はまだ「国民皆保険」(1961年)も成立しておらず、地域に医療機関も少なかったので、病気になっても医療を受けることが難しい時代であった。そうした中で大阪医大学生のセツルメント活動が契機となって、被差別部落をはじめ地域の多くの経済的に恵まれない人々に、「親切で差別のない医療を安価に提供する」ことをモットーとして設立された。(その後、私たちの診療理念は下記のように充実、発展して行ったが、創立時の基本精神は今も生きている。差別との闘いは、私たちの原点である。)救急医療態勢も、今よりもずっと不備な中で、往診や夜間、休日の時間外診療も献身的に行い、地域住民の信頼を得ていった。また、被差別部落の健康調査や、労働災害、職業病問題にも取り組んだ。
1966年 医療法人 庸愛会設立 (理事長 小西 弘泰)
1981年 「富田健康を守る会」発足
「みんなで守ろうみんなの健康、みんなで創ろうみんなの病院」を合言葉として、地域住民が主体となった医療運動がはじまり、病院建設運動がはじまった。
1982年 7月 富田町病院開設(院長 小西 弘泰 当初53床)
1. 病院になってもこれまで通り往診をする。
2. 急患は、夜間、休日等の時間外であっても診療する。
3. 差額ベッド料はとらない。
以上を公約として開設。
1989年 木村クリニック・デイケア富田開所(所長 木村政紘)
富田ヘルパー派遣センター「なかよし」発足
ヘルパー派遣事業は、その後とんだヘルパーステーションが開設され(1999年8月)、現在に至る。
1994年 富田町病院と木村クリニックが同一法人(庸愛会)となった。(副院長 木村政紘)
1997年 5月 とんだ在宅介護支援センター開所
1998年 5月 とんだ訪問看護ステーション「おとずれ」開所
1999年 8月 とんだヘルパーステーション開所
2000年 4月 とんだケアプランセンター開所
2001年 12月 とんだデイホーム開所
2002年 6月 牧田町ケアセンター開所
2006年 4月 富田地域包括支援センターを開設(高槻市委託業務)
2006年 8月 富田町病院 病棟改築工事 一般病床(障害者施設区分)開設
富田町病院では、69床の病床について、高齢者の在宅療養を支えるための病棟としての機能を果たしていくために、病棟基準の見直しをおこない、一般病床69床=2階31床、3階38床(障がい者施設区分)に再編しました。
2012年 12月 在宅療養支援病院取得
2015年 4月 庸愛会介護事業所を社会福祉法人健康会に移管
2015年 5月 地域包括ケア病床基準取得
2019年 4月 とんだケアプランセンターを社会福祉法人健康会に移管

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